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  • 執筆者の写真Masala Press

【バーフバリ公開直前特集】プラバース、そしてバーフバリ

ローカル俳優としてのプラバース


この人がいなければ始まらない。


バーフバリの前後編を通じて主人公を演じる俳優プラバースのことである。

“India Today”より拝借


しかし彼は、バーフバリ公開前は、主演クラスではあるが南インドのごくローカルな一俳優にすぎなかった。

日本でとくに南インド映画が好きだという人種は、ただでさえマイナーとされる日本のインド映画ファンのなかでもとりわけ希少な人種だけれども、その人々の間にあっても、「もちろん知っているし主演作も観たことはあるけれど」という認知度で、燦然(さんぜん)と輝くご当地ヒーロー陣と比べたらわりと地味な存在だったことは否めない(ただし熱狂的なファンは日本にもいる)。


彼が主に活躍していたのはインド南東部アーンドラ・プラデーシュ州のテルグ語映画界、通称「トリウッド」である(言語別に映画界が存在する事情はこのあたりを参考にされたい)。


トリウッドは南インド映画界のなかでは人口も多く制作費の平均も高めとはいえ、繰り返すようだが、プラバースは、インドの地方映画のあくまでも中堅クラスの主演俳優だった。


映画プロデューサーの父を持ち、家系的には大部屋俳優ではなく主演クラスの俳優になるべくしてなった人物ではある。見るからに育ちのよさそうな顔立ちだし、きちんと演技のできる俳優でもある(はっきりいって私はちょっともっさりしたダンスにもメロメロです)。


南北で異なる価値観

そんなプラバースが一躍名を挙げたのは、やはりバーフバリ前編の「バーフバリ 伝説誕生」(インド公開2015年)だった。


歴代のインド一高い予算をかけ、歴代のインド一の興行収入をあげ、国外でも大ヒットとなったことから、インド国内でもそれなりに認知度があがったといえる。


しかしこの前編ではまだ「テルグ語映画でヒットした作品の俳優」という扱いであり、全国区で見ればあくまでも「ああ、知ってる知ってる」で止まっていたといえる。それは前編が、やたらスケールは大きいものの、どこまでもアーンドラ・プラデーシュ州の観客に向けたご当地大作、という性格が強かったからだろう。


それだけローカル愛の強い各映画界が存在するインドで、全国区で鑑賞されているインド映画といえば、近年積極的にインターナショナル市場も視野にいれた製作を進める北インドのボリウッド映画界の大規模な作品くらいである。


たとえばボリウッドの押しも押されぬ大スター、シャー・ルク・カーン主演の作品はほとんどのインド人がなにかしら観たことがある、と思われる。彼の作品は最近はとくに、英語字幕をつけて南インドでも普通に上映されているし、全国に普及しているケーブルテレビでもしょっちゅう放映されている。


一方『ムトゥ 踊るマハラジャ』のラジニカーントは、南インドタミル語映画界のスーパースターで、州知事選に出たら間違いなく当選すると言われているくらいの知名度と人気があるにも関わらず、全国区では「もちろん知っているけれど、南の人だよね」という扱いである。


彼の主演作品を見たことがある北インド人は、おそらくそれほど多くない。ラジニカーントの主演作を北インドで観ようと思ったら、上映館は極端に少ない。


言語の違いはもとより、それぞれの地場に根づく映画資本の利害関係など、広いインドで地域ごとに映画界が棲み分ける理由はいくつか考えられる。そのひとつの大きな理由としては、インドでも北と南では人々の好む色彩や良識などの基準、美男美女の基準が大きく異なることが挙げられるのではないだろうか。


日本で関西と関東の人の気質やものの好みが違うように、関西人が「東京モンは……」といったり、京都人が大阪人のことをいうように、北インド人と南インド人、そして南インドの中でもタミル人とケーララ人、といった地域ごとの厳然とした気質や好みが、インドにも存在する。


そんななか、人種的、言語的、そして歴史的にもヨーロッパにつながる北インドと比べて、もともとのインドに根付いていたザ・インドな人種や言語の色が強いのが南インドである。

肌の色を薄くしたら西洋人に見えるような北インドの俳優と比べると、輪郭、目、鼻と全体的に丸みの目立つ骨格、毛量多めの顔まわりと、プラバースはどこから見ても、インド人自身が考えるところの、まごうことなきインド人の風体をしている。


日本人が「ちょっと濃い。くどい」と感じるのと同じように、北インドの人から見ても「悪くはないけれど、好みかといわれると、うーん」という素材だった……はずなのだ(いやくどいようですが私はメロメロです)。


南発の全国区ヒーロー

ところが、前編から2年という歳月を経て2017年4月に公開された後編で、プラバースは、恐るべき勢いでインド全土の正真正銘のヒーローになった。


南北の映画界の違いなどものともせず、いまや、彼が演じたバーフバリを知らないインド人はいないと言い切れるくらい、彼はいまインドで一番有名な「インド人俳優」である。大俳優といわれるインド人俳優は無数にいるが、インド全土12億超の国民に、彼ほどその認知度と一定の評価がある俳優は後にも先にも出ないのではないかとすら思える。


原語のテルグ語のほか、タミル語吹替版、マラヤーラム語吹替版で南インドのほかの言語地域もターゲットにし、なおかつインド全土と国外輸出を前提にヒンディー語吹替版も制作されたのはもちろん大きな要因ではある。


しかし前編もヒンディー語吹替版その他は、あったのである。


いったいなにが、違ったのか。


正面から描かれる理想像

前編のバーフバリの主人公は、マヘンドラ・バーフバリ、つまり2代目バーフバリだった。

このバーフバリは川で拾われ、子どものいない村長夫婦に大切に育てられたものの、そこは庶民の村育ち。伸び伸びとやんちゃで、気は優しいが男としてはまだまだ未熟、といったところがあった。

カッコいい男として描かれてはいたが、軟派さもあった前編のマヘンドラ・バーフバリ


対する後編は、マヘンドラの父、アマレンドラ・バーフバリの物語が中心となる。アマレンドラは王族として生まれ、王となるにふさわしいあらゆる教育を受けて育つ。

男としての器の大きさや成熟を感じさせる後編のアマレンドラ・バーフバリ


そして、王として、息子として、夫として、友人として、これ以上ないほどの理想の男として半ば神格化して描かれている。


誰もが「こんな人がいたらいいのに」と願う理想像を体現化した、それがアマレンドラ・バーフバリである。


そういった完璧なキャラクターと、その「神」と運命的に結び付けられる「女神」のカップリングのみごとさや、彼らの物語を軸に壮大な王国の顛末が描かれるところに、後編の魅力が集約されている。


マハーバーラタという素地

インドで誰もがその概要を知っている古代叙事詩に「ラーマーヤナ」と並んで「マハーバーラタ」がある。


少々乱暴にまとめると「ラーマーヤナ」がラーマ王子とシータ姫を中心とした愛の物語であるのに対し、「マハーバーラタ」は、血を分けた兄弟や血縁者の反目による古代インドの栄枯盛衰という、より大きな枠で語られる物語である。


兄弟の争い、母の苦悩、王国の分断、世代をまたいだ因果応報。そういったモチーフはインド人には馴染みのものであり、また、物語のなかで民衆に人としての正しい行いを教え諭すという手法も、ごくごく一般的である。


バーフバリの後編には、そういった普遍のドラマ性がある。父の時代の因果を息子が終結させるというモチーフ自体は珍しいものではなく、南北問わずインド映画の世界で繰り返し描かれてきたものだ。男女の理想像をお手本的に描いた物語も無数にあるといっていい。


けれどインド映画の底力というのは、誰もが容易に結末を想像できる定番のお話を、ディティールを積み上げてこれ以上なく魅力的に描くということに尽きる。そしてバーフバリは、前編と後編の間に製作陣の方向性が変わってなかなか着地点が見つからなかったりと、紆余曲折がありながらも、ドラマ性と映像美を駆使してみごとな完結編を描き切った。


だからこその、全国区での空前絶後の大ヒットではなかっただろうか。


後編と合わせて前編を見たほうがいい理由

正直なところ、前編「バーフバリ 伝説誕生」は、「製作費その他がすごいのは分かるけど、それほど好きでもない」という感想を持った。大ヒットしたとはいえ、インド人のあいだでも「南のローカル映画にしては上出来」といった、すこし奥歯に物が挟まったような評価があったことは否めない。


前編を観ると最後に「後編は2016年公開!」という告知が出る。実際に公開されたのは2017年である。その間、どのような悶着があったかはインドのメディアではあれやこれやと報じていたが、詳しくは知らない。ただ後編は、よりグローバルに、より広い観客層を取り込むことを念頭に製作されたことは間違いない。


北インドの好みからいうと泥臭く垢抜けない印象のプラバースが、神と同一視されるほどの父・バーフバリを完璧に演じるには、気が遠くなるような役作りのための時間があったはずだ。


前編の製作のあと、後編の撮影はときに途切れながら続いたそうだ。その間、プラバースはバーフバリとしてのイメージを保つため、他作品へのオファーをすべて断ったという。


どう着地するかわからない作品のために、1年だか2年だかわからないが、表舞台から離れたわけだ。もともと多作な俳優ではないにしろ、ひとつの作品に集中できるだけの本人の素養や、彼をその間食わせるだけの力があった映画界の懐の深さに、あらためて驚く。


監督から最初にオファーがあったのは2011年初頭といわれている。プラバースは当時30歳そこそこである。以後、何本か出演作があるにはあるが、バーフバリ前編以降はない。脂が乗り始める俳優として一番いい時期を一作品に投じたともいえるわけで、そう思って後編を見ると、彼の凛々しいバーフバリがほんとうの神のように輝いて見える。


濃いとかくどいとか、どうせ南のおっさんでしょ、と色眼鏡をもって突っ込む気満々で観る観客が、最後にはおそらく、バーフバリの足元にひれ伏したくなる。この圧倒的な作品力はほかに類をみないもので、だからこその南北を超えてのヒーロー誕生だったといえる。


確かに前編はちょっと好みが分かれるところだと思うのだけども、「王の凱旋」がどのように成し遂げられたのか、息子が父を超えるためにどのように戦ったのか、前編あっての後編の終結である。だからやはりできれば、前編も合わせて観てほしい。そして「王の凱旋」という邦題はしみじみ、いい。


おまけ

プラバースと後編の相手役アヌーシュカ・シェッティは2013年公開の”Mirchi”(唐辛子)で共演している。ちなみにプラバースの父役にはバーフバリで忠臣カッタッパを演じるサティヤラージ。


この数年後にこの3人が出演する歴史大作が製作されると思うと感慨深い。ダサかっこいい劇中歌をちょっと口直しにどうぞ。


プラバースはイケてる現代っ子を主演。後半、きっちり泥臭く暴れ、しかしちゃんと立派にいいやつとして終わる。


アヌーシュカとは何度か共演しており、バーフバリでの抜群の相性を根拠に「恋人では?」という説や「婚約した」という噂も根強くあるものの、両サイドともに否定。映画界とは無縁の実業家の娘との縁談話がゴシップ誌を賑わせたりもした。


神になってしまった38歳のプラバースの縁談はインド芸能界の格好の話題である。


できることなら、一度でいいからあの熊のような両手でがっつりホールドされてみたい、はたまた後ろまできっと手が回らないであろう胴体をホールドしてみたい……と妄想しながら、今日もバーフバリに恋い焦がれている。


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